2014年12月31日

【番外編】2014年をふりかえって<前編>〜11年間川旅を共にした相棒ラナを失って〜

 今年の振り返りについては、ここでは「前編」として主にラナに関することを、川下り関連については「後編」としてthe afterに残そうと思います。
 比重的には、前編(ラナ)9割、後編(川)1割ですかね…。

 もくじ
 ■ ラナという存在
 ■ 別離の状況
 ■ 失ってからのこと
 ■ これからのこと
 ■ 川下り集計編(後編)

 では、さっそく。

 ラナのことを思い起こす時、探るようにそろそろと踏み出すような感じでした。受け止めきれずに、また慟哭の波に攫われてしまうんじゃないかと怖くなり、つい歩みを止めてしまうんです。しかし、目を背け続けて知らずうちに忘れ去ってしまうのはあまりに悲しい。2014年もいよいよ暮れを迎えたタイミングで、思い切って一歩踏み出してみようと思い立ちました。半年が経った今ならもう大丈夫と思って決意したんですが、だんだんと陰が濃くなってくる、辛い作業でした…。

 仕事のストレスも相俟って気持ちの浮き沈みが激しくなり、精神的ゆとりが失われ、8割ほど書き出したところで投げ出してしまいました。
気持ちが上向いてきた4月になって再び向き合い、ここにきてようやく陽の目を見ることになった次第です。


 今年はラナが血管肉腫を発病し、60日間に及ぶ闘病の末、永眠しました。11歳でしたから、ゴールデンレトリーバーの平均寿命の枠内に入るかと思います。が、ラナを喪ったことで、生まれてこの方経験したことのない深いダメージを負いました。これまでは、自分自身をちょっと冷めた人間と思っておったんですが、全然違いましたね。
 ラナの死を目の前にして狼狽し、慟哭し、未だズルズル引きずっている、むしろウェットな人間だったんではないかということがよく分かりました。

 ■ ラナという存在

 ラナは、なんというか、単なる愛玩の対象としての「ペット」ではありませんでした。初めて迎える「わが子」として十年余の歳月を共に過ごし、毎日の散歩のお伴でもあったけれど、最も大きな割合を占めていたのは、川下りにおいて幾多の苦楽を共にした「相棒」としての存在だったと思います。

 社会人になってからこれまでのカヌーライフはラナと共にあったと言ってもいいでしょう。約600日、通算143本の河川を共に漕ぎ下りました。これって計算してみると、週に1日以上は一緒に水面に浮かんでいたことになります。

 もはや当たり前となっていて全然意識してなかったんですが、いつしか私の川下りにはラナの存在が欠かせないものになっていたようです。ここ数年はソロで漕ぐ機会が多かったですが、寂しいと感じることはありませんでした。それは、ソロといいつつ背中にはいつもラナがいたからだったと、失ってから気が付きました。

 ライフジャケット越しに伝わってきた背中の圧力を、今はもう感じられない。そう思い知る時が一番、心に広がった暗く深い穴の存在を感じると同時に、自分にとっていかに大きな存在を占めていたかを窺い知ることができました。

 一人旅の孤独を分かち合う「相棒」として、自分でも気がつかぬうちに依存を深めていたのかもしれません。

 ■ 別離の状況

 ゴールデンレトリーバーの寿命はたったの10年程度。そんなことは飼い始める前から分かっていたし、だからこそ悔いを残すことのないようできるだけたくさんの思い出をと、共に漕いできたつもりでした。しかし、死が現実のものとして差し迫って来た時、どうしても受け入れることができませんでした。ラナ共々心身を削り、万策尽きるまでギリギリまで抗った末、ようやく受け入れたという感じです。

 そいつはまさに青天の霹靂でした。

 「血管肉腫」。

 発病後1年以内の死亡率90%超という不治の病です。とくにゴールデンレトリーバーは、この病気にかかりやすい。

 そんな病気があるって、全然知りませんでした。もし知っていたら、もしかしたら検診のタイミング次第では運良く早期発見できて未然に防げたのかもしれない。

 食欲不振、貧血、虚脱…。後になって考えれば、いくつか小さなサインはありました。いち早く気付いて、早期に手を打っていたら、もう少しくらいは長生きできたのかもしれない。
 自分の無知蒙昧ぶりを呪いました。

 そして、僅かでも生存の可能性があるのならば、と闘病の道を選びました。でも…、今でも思うのです。この選択は正しかったのかと。

 突然の虚脱に陥った4月12日、本当はあれが別れの刻だったのではなかったのかと思うのです。覚悟なんて全然できませんでした。このまま別れるのはどうしても耐えられなかった。自分でも意外なほど涙腺緩みっばなしの姿に、ラナもしょうがねえなあという感じで、文字通り血を吐きながらも戻ってきてくれたのではないかと思っています。

 その後、6月10日まで60日間、一緒にいることができました。
 状況は絶望的。永遠の別離が刻一刻と迫る中、徐々に覚悟を養うための時間として、私には必要な60日間でした。
 絶望の淵にありながらも、希望は捨てませんでした。奇跡を起こすために、積極的に動きました。万策尽きるまで抗い続けました。脾臓摘出手術、抗がん剤治療、さまざまな試みを施しました。ドッグフード食べなくなったので、がんによく効くという手作り料理も作りました。ほんの短い間ではありましたが、ずいぶんと元気を取り戻してくれた時期もあって、たったの2回だけではありましたが、一緒に川を下ることもできました。
 最期が近いことを悟ってからは、かつてない濃密な時間を過ごすことができました。そして、最期を看取ることもできました。

 しかし、ラナにとってこの時間ははたして必要だったのか?
 一週間点滴漬けで死線を彷徨い、全身麻酔で臓器を切られ、血液検査のために何度も採血され、輸血や、2度の抗がん剤も経験しました。  きっと、苦しかったでしょう。
 最後に血液検査した時のヘマトクリット値は、11でした。身体中の血が失われ、動けなくなるギリギリまで生きてくれた。最期の日も、私が帰宅するまで律儀にも待っていてくれた。
 60日前、あのまま静かに逝っていたならば、こんな思いをしなくても済んだのではないか。

 闘病の道の先に見るものは、もちろん元通りの生活でした。
 なぜ、闘う道を選んだのか?
 たとえ荊の道であれ、こんな理不尽な病なんかに負けてたまるかという気持ち。悔恨の念に駆られたくないからという気持ち。別れることに耐えられないから、少しでも先延ばしにしたいという気持ち。
 さまざまに入り混じりながらも、とにかく、死を受け入れるのがたまらなく怖かった。だから、希望を抱き続けることで、死の恐怖から逃れようとした。実際あの時、奇跡を信じる一縷の希望こそが、心の支えでした。希望の灯火を絶やさないためには、戦い続けるしか道はありませんでした。

 でもよくよく考えてみると、それって自分のエゴに過ぎなかったのではないか? ラナにとっては、苦痛の時間をいたずらに長引かせてしまっただけだったのではないのか?

 荼毘に付すことで、一応の区切りは付きましたが、ラナに対する後ろめたい気持ちは心の奥底で渦巻いたまま、消えることはありませんでした。このモヤモヤは何だろう? ずっとずっと気になりつつも、うまく言葉にできなかったのですが、今になって思うと、この自分本位な思考に対する罪悪感なんやろなと理解しています。自分を守るために取った行動が、一番自分を傷つけてしまったという、何ともまあ皮肉な話でした。


 喪った時の傷の深さは、故人(犬)への依存の深さ、心に占める割合に比例するように思います。また、別離の状況も影響が大きい。そこに「後悔」があると、いつまでも傷が疼いてなかなか塞がってくれない。

 なんというか、心が、ぐちゃぐちゃに砕けてしまったような感じでした。燃え尽きた灰のようなというか、無気力状態に陥ってしまい、10余年尽きることなく熱中していた川下りにさえも価値を感じられなくなってしまいました。

 ■ 失ってからのこと

 ラナの世話と情報収集に費していた日々は、アルコールとゲームに浸る日々に置き換わりました。完全なる現実逃避ですね。しかし、今になって考えると、心がスイッチを完全オフにして休みたかったんじゃないかと思います。再生のために、これはこれで必要な時間だったのではないかと。しかしながら、家族をはじめ多くの人に心配かけさせてしまいました。改めて謝意を、支えてくれた方々には感謝の意を表したいです。

 変化は、1ヶ月を過ぎた頃から感じるようになりました。混沌と渦巻いたままの気持ちを何とかしなければ、という感情が芽生えてきました。同じような喪失の体験をした人は、どうやって乗り越えられたんだろうかという興味から、ペットロス関連の書籍を読むようになりました。逃避の方向が変わっただけかもとも思いましたが、文字を読むことさえ億劫だった頃に比べれば大きな進歩でしょう。ベクトルがプラスに転じたのは、おそらくこの頃ではないかと思います。

 季節は移ろい、夏は盛りを迎えていました。気持ちの整理が少しずつ進んできたのか、読書の意欲がさらに高まり、興味の方向は、「どうやって喪失の哀しみを乗り越えたか」から、「犬と、どのような関係を築きあげてきたのか」に変化していきました。
 四十九日(7月28日)も過ぎた頃、ようやく、ラナとの思い出と向き合おうという気になってきました。

 初盆では、台風の影響で増水した土佐嶺北の川を下りました。渓流で漕ぎ、魚を掴み取りする。私の川下りの原点といえる体験でした。
 相棒を失くした川は、どこか虚しさが漂い、心から楽しいと感じられない。しかし、嶺北の川は、これ以上ないほどに癒してくれました。渓を覗き込んだ時の、あの何とも言えないドキドキ感。川が好きだという気持ちは死んでいなかったことを気付かせてくれました。

 9月末には、静岡の川を一人旅しました。思えばこれまで、ラナとの残された時間を思い、新しい川の開拓を最優先で漕いでいましたが、もう突っ走る必要はなくなったんですよね。過去に漕いだ川を、当時の思い出を振り返りながら巡るのもいいかなと思うようになりました。

 そして10月以降は、道志川、桂川上流区間、吾妻川も漕ぐことができました。ブランクも長かったし、なにより気持ちが弱っていて、こういうキツいめのホワイトウォーターを漕ぐ機会はもう未来永劫来ないかなあと思っていたんですがね。一抹の寂しさを抱えつつも、かつての自分を取り戻しつつあると実感しています。

 ■ これからのこと

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 ラナの夢を、時々見ます。
 亡くしてしばらくは、目覚めると胸が締め付けられるような切ない思いばかりが残りました。どこかで醒めていて、これは夢の中というのが分かっているから、消えないで、と叫んでばかりいました。
 最近は、割と穏やかな気持ちで迎えられるようになりました。ああ、おかえりって感じで。こないだなんか、駆け寄ってきて、顔をベロベロ舐めまわされました。目が醒めても、じんわりと、温かな気持ちで満たされることも増えました。ようやくラナのいない生活にも馴染んできたのかなと思うこともあります。仕事がキツくなって気持ちに余裕がなくなってくると、まだまだダメですが…。

 二代目を迎える夢を見たこともありました。ゴールデンの仔犬が、家中を駆け回る中、微笑ましく見守っているシーン。でもその仔犬は、ラナなんです。単に11年前に回帰しているだけなのかもしれませんね。
 二代目は、欲しいです。冒頭にもありましたが、600日も共に過ごすと、犬のいないカヌーライフなどもはや考えられない。
 犬種はまたゴールデンレトリーバーがいいですかね。血管肉腫に辛い思いをさせられましたが、それでもやっぱりもう一度共に川旅をする相棒がほしい。できればすぐ、それこそ明日にでも迎えにいきたい。

 でも、川太郎が実は犬アレルギーだったんですよね。昔から喘息持ちで、緊急入院したこともあったほどなんですが、ラナがいなくなってからは一度も発症せず…。現在水泳教室に通っているので、心肺鍛えてなんとか克服してくれっと願っています。

 これを機に、カヤッカーに転向しようかなとちょこっと考えたこともありました。これまで下れなかった川を漕げるようになるかもしれないし、世界観が変わるかもしれない。でも、やめました。
 20年近くダッキーに乗ってきて、いまさらってのもあるし、ラナとはいつまでも一緒に下っているつもりでいたいし、いつか生まれ変わりと巡り会った時にすぐダッキーに乗せられるようにしたいから。

 ラナは、とにかく大きな大きな存在でした。
 これまでにも死別はいくつか体験してきましたが、ここまで気持ちが動くことはありませんでした。おそらく、今までの出来事は、どこか他人事にできて、うまく受け流せていたからじゃないかと思ってます。今回のは、直撃でした。それも剛速球。ラナは、私の日常に、人生に、あまりに深く刺さり過ぎていました。そもそも避けれるとは思っていなかったけど、正面から受け止めなければならないと思いました。こんなにも自分の心と向き合ったのは初めてかもしれません。負った傷は深く大きいですが、おかげでまた一つ、新しい自分になれたかもと思っています。


 今回の振り返りを通じて、気持ちが鬱いでしまって全然あきませんわと思う時もありました。真正面から向かい合うには、まだ気持ちの整理が足りないかなあと感じていますが、少しずつ、前に向かって歩けている感はあります。かなり時間はかかりましたが、こうして現在の思うところを記録として残すこともできました。

 元来、犬→まあまあ好き、カヌー→そこそこ好きってレベルでした。両者が融合することで、まさかこんなにハマることになるとは想像していませんでした。こういうと大げさですが、人生変わりましたです。それほど大きな巡りあわせだったのではないかと思っています。

 ラナ、数えきれないほどたくさんの、そして珠玉の思い出を、本当に本当にありがとう。共に過ごした11年間余の日々は、この上なく充実したものでした。できることなら来世でまた巡り会って、一緒に川下りしたいなあ。その時が来たなら、また相棒としてよろしくお願いしますね。今度は、通算200本を目指そう!


ニックネーム ラナ父 at 17:44| Comment(4) | 番外編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いま、ラナ父さんは人生のやたら長い激流の中で自分の心のパドルでカヌーを漕いでいます。
こんな強烈な激流の中では自身の態勢を維持するのが精いっぱいで、漕ぎ上がることも横切ることも不可能です。それを無理してやろうとすれば体力は奪われる、思い通りにならず強烈な不安感に支配される・・・結果余計自分自身が苦しくなるだけです。
途中分岐点にさしかかったら人生の川下りではスカウティングは出来ませんから、一旦決断した選択肢は修正することもできません。
流れは速い、壁のような波が無数に視界を遮る、同時に横波、隠れ岩も次々と襲いかかる・・・・

カヌーをされていればご理解いただけるでしょうが、いまできることは、沈脱しないように、何かに張り付かないように、ひたすらリカバリーに徹するしかありません。
先が見えず疲労と息苦しさ、恐怖と焦燥感、不安感でパニックになりそうな気持になりますが、川がそうであるように激流は必ず終わりが来ます。穏やかな瀞場が必ず現れます。
それまでは、つらいでしょうけどリカバリーの漕ぎはやめずに、今はひたすら流されましょう。辛抱致しましょう。

やがて必ず穏やかな川面が姿を現します。

人生はカヌーです。
Posted by おおさわ at 2015年04月20日 09:09
おおさわさん、ごぶさたしております。

カヌーのたとえ、よく分かりますよ。
ありがとうございました。
いまはもう、瀞場に着いてると思います。
後ろを振り向いて、こーんなとこ流されてきたんやなあと心臓バクバクさせてる最中ですかね。
核心部は乗り越えたんで、あとはゆっくりと、気持ちを落ち着けていこうと思ってます。
Posted by ラナ父 at 2015年04月21日 21:19
お子さん、とても心配ですね。

ちなみに私も犬アレルギーですが、わんこ5匹と寝起きしています。
稲わらアレルギーですが、米作ってます。

幼いころから、今でいうところの「コミニュケーション障害」及び、大人になって判ったのですが「ADHD」でもあったため、障害に対する知識も理解もない当時の学校では、毎日パワハラやらいじめを担任や同級生から受け続け、揚句に特別支援学級への「隔離」を強く勧められたそうですが、普通のクラスで皆勤賞で義務教育を終えましたよ。

「役立たずのダメ人間」というレッテルを幼いころから背負わされていたからこそ、いつか「世の中の役に立ちたい」「頼りにされる存在になりたい」という意欲と気概が人一倍養われ、今の仕事もカヌー大会も続けられたのかも知れませんね。

人間もわんこも決して見た目ほど弱い存在ではありませんよ。

信じましょう。
Posted by おおさわ at 2015年04月23日 07:25
意外な過去ですね。
おおさわさんの情熱の源が、分かったような気がします。

私も生来のアレルギー持ちですが、
今は健康状態だと症状ほとんど出ないですね。
まあ過度に期待するのは本人に余計なプレッシャーかけさせて
しまうかもなので控えますが、信じて待つことにいたします。
Posted by ラナ父 at 2015年04月27日 04:59
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