2014年09月17日

【後日譚】百か日

 本日でラナの百か日を迎えました。

 しばらく何もやる気になれず、2ヶ月ほど休眠していましたが、8月以降は実はほぼ毎週末漕いでます。まあ、そのほとんどがファミリーカヤックなんですが。

 そこでいくつか気が付きました。

 私、やっぱり川が好きですわ。そして、初めて下る川に出会った時のドキドキ感。この気持ちは変わってませんでした。ホワイトウォーターを漕いで、瞬間的に気持ちが昂ぶることもありました。

 でも、どこか虚しさが残ってしまっていて、心から笑えない。喪失感が埋まることもない。

 百か日とは、「卒哭忌」とも呼ばれるそうです。すなわち、悲しむのを終える日という意味合いですね。
 たしかに時間薬という言葉もあります。とはいえ、たったの100日で終われるわけないやろという気持ちが強い。むしろこの先もずっと、胸に空いた穴は埋まらない気がします。でも最近は、それでもいいかなと思うようになってきました。無理に穴を埋めようと考えず、受け入れていこうかなと。まだ若干アルコールに依存気味ですが、なんとかなるでしょう、きっと。


 ところで、(以前higさんにいただいたコメントにあった)コンラート・ローレンツ 小原秀雄訳,2009;「人イヌにあう」早川書房 を読みました。
 ※原作は1955年出版とかなり古い本です。

 最終節の9ページ「忠節と死」は、たぶんラナが生きてる時は、さらっと流し読みして終わってたでしょうね。失ってはじめて迫りくるものがあります。何度か読み返しました。

 喜びの代償には、必ず悲しみがある。
 犬の死は、多くの苦しみをもたらすが、犬の場合は代わりがいる。
 犬も個性豊かではあるが「その魂の深みにおいて、人間との特別のつながりを支える深い本能的感情において、イヌはおたがいに非常によく似ている」。
 寿命という制約上、人は「一匹のイヌにたいして忠実でいることはできない。しかし、その品種にたいして誠実でいることはできる」。
 表情やしぐさなど性格の特性は、人間に比べて子孫にはっきりと受け継がれる。

 ラナには残念ながら子どもがいなかったけど、生粋のゴールデンレトリーバーでした。ゴールデンの中に、いつかどこかでラナの片鱗を見ることができたらいいなと思っています。


ニックネーム ラナ父 at 21:55| Comment(6) | 悲哀の仕事編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする